万華堂みや子の明治大正レトロ日記

明治・大正ロマンやオールド上海などの昔のこと

「明治のこころ」展 江戸東京博物館

江戸東京博物館で開催中の「明治のこころ-モースが見た庶民のくらし-」展に行って参りました。

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大森貝塚を発見したことで有名なエドワード・モースが所有していた明治時代の日本のもの、モース自身の感想を通して、そのころの人や暮らしについて知ることのできる展示でした。

キャッチコピーは「そのころの未来に、わたしたちは生きている。」

 

明治時代と聞いて訪れた展示でしたが、一番面白かったのは、エドワード・モースその人でした。
私たちは歴史の教科書などで「縄文時代の貝塚をモースという外国人が発見した」ということだけ知っていて、
モースという名前も大森貝塚もあまり記憶に残っていない人も多いのではないでしょうか。

私も、名前くらいは覚えていましたが、単に「学者・考古学者?」くらいの知識しかなく、それすら正しいとは言えません。ちなみに「縄文時代」の名前の由来となった縄目の模様がついた土器を「縄文土器」と名づけたのはこのモースだそうです。

 

さて、この人が面白い。
幼少の頃は大の学校嫌いで、高校もろくに出ていません。
ところが昔から興味を持って集めていた貝のコレクションが学者の目に止まり、教授の助手を務めたり、講演会をするようになりました。
そしてなんと、大学を全く出ていないにも関わらず31歳の若さで教授になります。

 

この経歴でも、やっぱり人となりはあまり伝わってこないかもしれませんね。
単なる「すごい人」で片付けられてしまうかもしれません。
しかしこの特別展では、そんな経歴を綴った序盤が終わると、更にグッとモースに近づいてゆきます。

 

モースが保存していた、明治時代の人たちの生活道具・装身具、それらは使い古して泥がついたままのものもありました。またそれらは、近所に住んでいた?方たちから譲り受けたものかもしれない、とのことでした。きっと当時の人たちはモースのことを変な外国人と不思議に思いながらも温かい気持ちで慕っていたのではないでしょうか。

 

モースは東京下町の散策を愛したそうです。
雑多な路地、家の前に並ぶ生活道具、行き交う人々の服装やしぐさ、全てに驚き楽しんでいるモースの様子が浮かんできます。

 

展示会ではモースが日本に来た時に残した文章が掲示されていました。
私はこれに彼の人となりを感じました。

 

 「私は迷子になろうと決心して、家とは反対の方向へ歩き出した。
  果して、私は即座に迷子になり、さまよい歩いた。」

 

子供の頃と変わらない、あふれる好奇心で、思いきり生きていたのではないでしょうか。

 

歴史上の人々も、その人生はよくも悪くも私が知っている何百倍も豊かなんでしょうね。今回の展示もまたモースの一部を切り取っただけ。アメリカでの彼や、苦労談なんかもたくさんあるのだと思います。


今回の展示のコピー「そのころの未来に、わたしたちは生きている。」
モースだけでなく、今回の展示写真にチラッと出てくるあの人もこの人もそれはもう豊かな人生を歩んだのでしょう。

 

例えば、ザンギリ頭を艶やかになでつけた若い男性が恥ずかしそうに若い着物の女性と向き合って座る写真。女性もどこか嬉しそう。写真を撮るためにポーズを付けさせられているのかな、と思いますが、若い男女が一緒に何かしたりさせられたりするときの恥ずかしいような嬉しいような気持ちが伝わってきました。(勝手に想像しすぎですかね)

 

そのころの未来に、私たちは同じように楽しんだり悲しんだりしながら生きているのだな。と感じる展示でした。