万華堂みや子の明治大正レトロ日記

明治・大正ロマンやオールド上海などの昔のこと

明治女が教えてくれた プライドのある生き方

素敵な本を読みました。

明治女が教えてくれたプライドのある生き方

 

考えがまとまらないうちに、まとまらない文章を書いてしまうのには、嫌な気もするのですが、文章をこねくり回しているうちに、気持ちの間に何か要らないものが入ってしまいそうで、その方が嫌なのでまとまらないのを承知で書いてしまおうと思いました。


この本を読んでまず強く感じたのが、明治時代も現代もあまり変わらない、ということ。こう書くととても月並みで陳腐に聞こえてきますが。。。
明治時代も現代も女性は女性特有の不自由を感じていて、それなりに自由を求めていて、それでいてそれなりに幸せに生きていた、ということ。また、明治時代でも自分のことばかり考えて却って不幸せに生きている人もいれば、他人のことを心から思いやり自分らしく幸せに生きた人もいるのだということ。

印象的だったのが、幸田露伴の妻幾美・八代と、松下幸之助の妻むめののエピソードです。


幸田露伴の妻、幾美と八代の話

幸田露伴の最初の妻幾美は夫の才能を認め、露伴に本を買わせるため自分は着物一つ買わず、いつも真っ黒になってよく働き過程を支え、それでいて人生を楽しんでいたようです。
幾美は若くして亡くなってしまいます。しかしその一生は娘幸田文の次の文章によくあらわされています。

「じみが不幸であったとは誰がいえよう」

 

また露伴によって立派な葬儀が行われ、幾美の墓石には「よく糟糠に耐え」と記されたということです。
耐え忍んだ人生を、後から他人が美化するのは別に良いことではありませんが、これは決してそういった類の話ではありません。夫である露伴と娘の文による心からの愛情や尊敬の念が、文章や墓石に残っているのですから。

亡くなってからもなお、幸田露伴と娘の文、またたくさんの人に尊敬の眼差しで見つめられ続ける人生は、なんと偉大で華やかな人生ではないでしょうか。現に時と場所を超えて、こんな何の関係もない私ですら尊敬の眼差しで幾美さんのことを想っているのですからね!

一方、後妻として来た八代という女性は、幾美とは正反対の性格だったようです。女性がかげで家庭を支えるなんて人生はまっぴらで、自分のために人生を生きたいと思っていたのでしょう。家事も育児もせず、自分のやりたい学問をしたがり、女性だからといって見下げられるようなことは許さない、という女性でした。しかし、八代はいつも不満そうで、不幸せそうだったようです。
やりたくない家事は文がやり、その分聖書の勉強などをする時間を与えられていたそうですが、それでも心の中で「別に自分は家事ができないからやらないのではない。きっと皆私ができないと思ってバカにしている」などと不満ばかりためていたのではないでしょうか。
八代の気持ちはわかります。家事や育児に自分の人生を奪われてしまうのは、せっかくこの世に生まれてきた自分を蔑ろにしているような気持ちがあったのではないでしょうか。でも、本当はそうではないのかもしれません。
まるで玉ねぎみたいに、自分のために他をそぎ落としていくと、自分が無くなってしまうのかもしれません。他人を大事にし他人のために生きるからこそ、自分の個性ができていくのかもしれません。でも、八代の人生も「生き辛くても自分を曲げない」というまっすぐな人生だったのでしょう。


松下幸之助の妻むめのの話

その人生は書籍やドラマにもなったようなので、もう松下幸之助の妻むめのは有名のようですね。
本当に、胸がワクワクするほど素敵な女性だと思いました。
それは以下のエピソードです。
幸之助の事業が軌道に乗ったころ、幸之助はある従業員3人を工場の仕事から営業に回そうと考えました。その従業員3人は工場の仕事を気に入っているのに、営業の人手が足りないという理由での異動でした。
しかしその思惑に気付いたむめのは、幸之助に猛烈に抗議します。
幸之助も幸之助でむめのに「おまんは商売に口はさむんか」と怒ります。
それを受けてむめのの放った言葉といったら!

幸之助さん、これは商売の話やおまへん。人間の話や。人間としての筋が通ってない話は、どんなに商売がうまいこといったかて、そんだけのこと。」

今では企業の目的は利益だと、当然のように教えられます。それは正しいのですが、しばしば利益が人より重視される時があります。企業の目的は利益だけれど、もっと大事なのは人。という当たり前のことなのですが、私なんかは仕事をしているとすぐに忘れてしまいます。人を大事にしない商売なんて、意味のないこと。むめのさんは改めて教えてくれました。


最近やっと、生きていくのに一番大切なことは、自分の軸を持つことだと考え始めました。
長くてそれでいてあっという間の人生、何が得られたかではなく、この軸をしっかり持って生き通すことが、私の人生なのではないかと。この本に書かれた「運命を受け入れて、切り開いた女性」(そして運命を受け入れられなかった女性)の話は、その大事な軸を考えるのに影響を与えてくれるものでした。